卒業発表会では、卒業論文のプレゼンと、卒業制作作品の展示及び上映を実施いたします。
今年度の発表は、
となっております。
今年度の発表一覧は以下です。
また、論文発表および上演作品のタイムテーブルは、「プレゼン・上演作品タイムスケジュール」のページに掲載しております。
日本のプロ・オーケストラに在籍する団員たちは、大勢の聴衆の前で演奏を披露する「芸術家」でありながら、組織に所属し管理されながら業務に従事する「従業員」でもある。活動を通じて自らの音楽性や独創性を研き高めることを喜びとする芸術家としての立場と、定められた時間や報酬などの条件のもとで活動にあたる従業員としての立場という、団員に内在するこの一見相容れない二つの側面は、どのようにせめぎ合い、折り合っているのか。日本のプロ・オーケストラにおける芸術家/従業員としての団員について、現役のプロ・オーケストラ団員におこなったヒアリング調査の結果をもとに、アメリカの作家ダニエル・ピンクの〈モチベーション〉の概念を手掛かりとした考察をおこなう。
ここ数年、新しい大人の学びの場として注目されている「シブヤ大学」「自由大学」「丸の内朝大学」という3つの市民大学に着目。これらの市民大学は一体何が新しいのか、何が画期的なのか。そのカギは「プロデューサーがいること」であった。3つの新しい市民大学を事例として取り上げ、インタビュー調査をもとに、プロデューサー型市民大学についての考察をおこなう。
本論文は、『きむらとしろうじんじんによる野点』企画を分析したものである。当企画を、芸術史の文脈においてリレーショナル・アートとして位置づけながら、どのように社会的諸力と交渉をおこなっているのかをミシェル・ド・セルトーの「戦術」の理論を導入して考察した。生活圏に介入しながら繰り広げられる当企画の特徴を見いだしていく。
今日、iPodやウォークマンに代表されるポータブルオーディオプレイヤーが普及しており、屋外で音楽を聴く機会が増加しています。一方で、騒音環境下で音楽を再生する際にその音量を大きくしてしまう傾向があり、耳への影響についても多く研究されています。本研究では、ポータブルオーディオプレイヤーでの音楽再生時における音圧の変動に着目し、無音環境と様々な騒音環境における音楽再生音量の違いについて考察します。
ヘッドホンユーザーやイヤホンユーザーの間で、エージングというものが話題となることがある。ここで言うエージングとは音を鳴らし続けることにより、ヘッドホンやイヤホンの音質が変化、改善するとされる現象である。しかしその真偽については実のところ賛否両論であり、先行研究もほとんど無いのが現状である。そこで本研究ではまずヘッドホンの構造からエージングの仕組みを仮説づけ、実際にヘッドホンSONY MDR-CD900STを500時間エージングして測定し、周波数特性の変化を観察した。そして測定誤差も含めた周波数特性の変化をパラメトリックイコライザーにより再現したフィルターを用いて、実際にその変化を聞き分けることができるのかを確かめるため、12人の被験者による実験を行い、エージングは実際に効果があるのかを検証、考察した。
エージングの実験の結果、SONY MDR-CD900STにおいて、エージングにより周波数特性の変化は要因として測定誤差によるところが大きいもののグラフの変動は見られた。しかし周波数特性の変動からエージングを模したフィルターを用いた聞き分けの実験では、楽曲においてエージング前後の音質を聞き分けることはできず、SONY MDR-CD900STにおいて知覚できるほどのエージングの効果はないであろうという結論に至った。
新国立劇場演劇研修所は日本で唯一の国立の演劇人養成施設であり、現時点で4期57名の修了生を輩出している。そこで講師・事務局・修了生の方への文書アンケートとインタビュー調査をもとに、当研修所の内部から見た成果と課題を探り、さらには国が演劇人養成を行う意義を考察する。
社会は電子化の一途をたどっている。テレビも、新聞も、書籍も、電子化の波から逃れることはできない。そんな中2010年は電子書籍元年と呼ばれ、2011年は世間のそんな風潮を継続した。電子化は社会を狭く、便利に、よりスピーディーに変える。しかし、失ってはならないものを、切り捨ててはいないだろうか?本論では、電子書籍の現在を、高校生を顧客と設定してマーケティング分析を行い、その結果から今後に言及する。
AKB48以降のライブアイドルについて、過去のアイドルの考察と共に現在のアイドルの実態について論じる。
本論では非音楽的な要素を持つ音楽を「パフォーマンス」として取り上げる。
パフォーマンスは、西洋音楽に特徴的な記録・再現・聴取の概念に忠実に則る一方、音楽外の積極的に容認するものであり、視点の転換を促すものだった。
従来の音楽概念との比較を中心に、2011年現在の状況についても言及する。
鈴木清順監督の映画「陽炎座」を分析する。作中の現象や登場人物などから切り口を抽出し、さまざまな二項対立の世界を浮かび上がらせてみた。またそういった二分化構造を生み出そうとする自分自身の精神構造、自分を取り巻く社会の価値観の有り様にも言及する。
1990年代の流行語である「ヴィジュアル系」が、欧米を中心とした海外で「Visual-Kei」として用いられるようになった。2011年現在、ヴィジュアル系は日本の文化を象徴する音楽、あるいは様式美として高く評価されている。そのことが起因し、国内でもヴィジュアル系は再びメディアに取り上げられている。海外が注目する日本の文化と、その注目される原因をアンケート調査や雑誌の記事から分析し、海外が与える日本の独自性とヴィジュアル系の関連性を考察する。
【9チャンネルによる音響とイラストの展示】
創造を生むために破壊と破戒を選択した若者達、そんな時代を私感表現。
1960年代と2010年代のレトロと現代の融合を、イラストとミュージック・コンクレートで表現する。
5チャンネルのスピーカーを半円状に置き、60年代と現代をイメージした音響作品を流す。その5台のスピーカーとスピーカーとの間にイラストを4枚置き、その下の床に一枚一枚の絵のイメージに合った音響作品を流すスピーカーを置く。5チャンネルのスピーカーの位置を高めに設置したのは、現代を生きる私を含む観客が60年代を俯瞰的に覗いているという意味を含む。そして床に置いた60年代の音源(特にザ・フォーク・クルセダーズ)をベースに作った音源を流す4台のスピーカーは、こんな時代があってこその現代、といった土台のような意味合いを持つ。
【朗読と音楽による作品】
詩集『春と修羅』より「丘の眩惑」「春と修羅」の朗読と音楽による作品。これは宮沢賢治の生前唯一刊行されたものであり、賢治自身によって心象スケッチであるとされている。
今回はその中から二つのテキストを使用し、朗読をはじめとした人間の声を中心に作品全体を構成する。朗読は元NHKアナウンサーの青木裕子さん。
【5.1chサラウンド+2chヘッドフォンによるオーディオドラマ上演】
『聴き手の視点が、物語内のどこに位置付くか』に注目したオーディオドラマ(音のみの物語)である。聴き手の視点の違いを<音による人称表現>という考え方を用いて、音の一人称視/二人称視/三人称視の短編集を制作。
作品形態は、音楽環境創造科2007年度卒業生・小澤貴文の卒業論文『5.1chとヘッドフォンを同時に利用した特殊なサラウンド再生方式 — 5.1ch+2chサラウンド再生方式の検証 —』を参考に、5.1chサラウンドスピーカーと2chヘッドフォンの同時再生である。スピーカーとヘッドフォンとの音の使い分けによって、聴き手の人称を表現する。
【卒業制作に関するパネル展示、上演記録映像の上映、校舎内パフォーマンス】
昨年11月に第7ホールにて上演を行った卒業制作公演の記録上演と、本公演の関連パフォーマンスを行います。
フランツ・カフカの『変身』を題材に、身体や関係、存在が変わっていくことをモチーフに作った本作品。
以前の上演を踏まえ、今回は劇場から、より日常的な空間に移して上演を行います。
【卒業制作に関するパネル展示、上演記録映像の上映、校舎内パフォーマンス】
昨年11月9日、10日に第7ホールにて上演した卒業制作「なにかしら」の記録映像上映と、校舎内にて本公演の関連パフォーマンスを行います。
本作品は、「包まれていること」「何か一つ隔てていること」、それは不審を煽ることもあれば期待に繋がる一面もある、ということから始まりました。目の前の全ての事象を、もう一度捉え直し、自分と世界を再構築すること。今回は、劇場外という日常の中でこそできることを考え、上演します。
【関連パフォーマンス、上演記録映像の上映、卒業制作に関するパネル展示】
10/13-14に上演を行った卒業制作「re-mind」の記録上映と、本公演を元にした舞台作品を発表します。
「re-mind」は、観客の「見る」「聞く」行為を中心として進行していきます。
舞台上で起こる出来事を事象として捉えることにより、自身の感覚を再認識する作品です。
【卒業制作に関するパネル展示、上演記録映像の上映、校舎内パフォーマンス】
卒業制作作品『カクカクシカジカ』は、2011年10月に本校の劇場である第7ホールにて上演致しました。「第7ホールで何ができるか」ということから出発した本作品。今回の卒業制作・修士論文発表会では、引き続き「上演する場所」について考えたいと思い、劇場を飛び出し、関連パフォーマンスを行います。
近年日本で増加傾向にあるアートプロジェクトでは、継続的な活動を保証するためのアーカイヴが求められ、記録を残そうという意識が醸成されつつある。アーカイヴの内容を充実させるためには、「市民的視点」の考慮が必要である。本論では、実践を通してこの考察に至った経緯を述べた。
美術家・藤浩志の地域における活動の検証を行った。藤のシステムに対する仕掛けを分析し、「関係が連鎖するシステム」というベクトルを与える活動をしている藤は、コンサルタント的であり、社会とアートの関係を考える上での一考察となるとした。
録音エンジニアとホルン奏者との間で、音色に対する感覚に違いはあるのか。音色を表す言葉に焦点を当てて行った調査と評価実験について報告する。
本研究では、残響時間と初期反射のパターンの変化といった空間の響きを構成するパラメーターが、音圧や拍節の長さの変化にどのように影響するのかを検証するべく、ヴァイオリン奏者による演奏実験を通して考察した。
本稿は、集団創作である演劇作品の創作に、集団がどのような役割を果たし、また、どのような可能性をもたらしているかについての一考察である。
演劇作品の創作は、常に集団によって行われる。その集団が、継続的に活動している集団か、その創作現場でのみの集団かという差はあるが、その瞬間集団を成していることに変わりはなく、例外もない。その中に身を起きながら、演出家や俳優、演劇に関わるアーティストたちは、集団に所属することを選んだり、フリーであることを選んだり、自らの身の置き場を選択する。
「劇団制」と「プロデュース公演」という言葉がある。継続した集団において、集団として作品を創作する「劇団制」、その創作のためにスタッフや出演者を集め、作品を創作する「プロデュース公演」。近年は、集団を維持することの難しさもあってか、プロデュース公演で創作を行うアーティストが増加している。しかし、劇団制には劇団制の、集団であるが故の強みがあり、プロデュース公演にはプロデュース公演の、自由であるが故の強みがある。「劇団制」と「プロデュース公演」を、現在の日本ではっきりと分類することは難しい。一口に劇団、プロデュース、といっても、メンバー構成などは勿論、その創作プロセスは多様で、両方の特徴を持ち合わせているもの、なども少なくはない。
その中で語られる「集団性」とは、集団の中の個々の、互いの共有できるものであったり、逆に差異であったり、その集団が持っている共有言語だったり、そういったものたちである。そして、それは継続的に活動を行っている集団のみにあり、必要なものではなく、プロデュース公演によって1作品の為だけに集まった場合の集団であっても同じである。プロデュース公演であっても、継続する集団が長年培ってきたものに匹敵するそれを形成するために、何らかの策を講じる必要がある。
どのような創作プロセスを選択するか、どのような立ち位置に自らを置くのか。それはアーティスト自身の選択に任されている。どちらを選択するにしても持ち合わせている欠点を補完するということを念頭に自らの理想、目指す作品によってそれを選択しなければならない。
本研究では、ポストドラマ演劇における上演と観客の関係を、近年の日本で新たに注目を集めている「劇場外」という視点から捉え直し、その関係における今後の可能性や課題について考察した。
2000年代から韓国ではダウォン(多元)芸術という新しい芸術運動が始まっている。本論文はダウォン芸術について明らかにし、分析することを目的にしている。
コンテンポラリーダンスの文脈で受容され、アーティストの表現の手段として転位したヒップホップダンス。ヒップホップを踊る意味は人種、時代とともに変容を遂げてきたが、アートとしてのヒップホップが現代を生きるダンサー、また観客にとってどのような意味があるのか明らかにする。
ハリー・スミス研究のための序。《初期の抽象(Early Abstractions)》を取り上げる。音とイメージをめぐる組み合わせ術的円環構造にあって、目のための音楽には盲人のための映画が見える。
ロック日本盤に付されるライナーノーツの60年代から現在に至るまでの変遷を概括。コメンテーターとして11日(土)に悪魔のしるしの危口統之さん、12日(日)に美学研究者の今井晋さんをお招きします。曜日ごとの発表内容は以下の通りです。
2月11日(土)第一講義室 16:20~17:05
〈ライナーノーツは首肯する――ロック日本盤「解説」文の肯定性と功罪――〉
音盤のリリース形態によって規定されるライナーノーツの文体に着目し、全肯定を強いられた書き手たちによって生み出された特異な内容について考察する。パフォーマンス集団・悪魔のしるし主宰の危口統之氏をゲストに招き、リスナーに衝撃を与える選りすぐりの名&珍ライナーノーツを俎上に乗せて、音楽体験とライナーノーツの分かち難い結びつきについて議論します。
■報告:高橋聡太
■ゲスト:危口統之(悪魔のしるし)
2月12日(日)14:00~15:45
〈レコード評からコミュニケーションへ――ライナーノーツとネットレーベル周辺の言説に見る音楽批評の転回――〉
ロック批評の変遷を日本盤ライナーノーツの内容から再考した文献調査、およびインターネットを介して無料音源を配信するネットレーベルの周辺で繰り広げられるコミュニケーションに密着したフィールドワークの成果を報告。一部の書き手によって独占されてきた音楽批評という領野が技術と経済の影響下で再編されていく過程と、ウェブ上で可視化されるユーザー間のやりとりによって加速する新たなムーヴメントについて考察する。トーク・セッションでは美学研究者の今井晋氏をコメンテーターに迎え、これまでの、そしてこれからの「批評」の行方について議論します。
■報告:高橋聡太、日高良祐
■ゲスト:今井晋(東京大学大学院)
本論文では、ネットレーベルと呼ばれる音楽コンテンツの生産・流通における新たな仕組みを対象に、それらがどのような社会的実体として機能しているのかを論じている。参与観察で得られた事例から、そこで生じているコミュニケーションに注目した考察を行った。
【謡と器楽によるコンサート作品】
演劇、舞踊であり、そして音楽でもある日本の伝統芸能・能は、その多面的な構造から、国内外問わず様々な分野の人々に影響を与える存在である。勿論現代音楽も例外ではなく、現在に至るまで能に関連した様々な試みがなされてきた。今回は、能の深い身体を表現した彫刻作品《杜若》*写真(作:中村恒克)から着想をえて、謡曲《杜若》を軸に、声と器楽、音響によって、型から発生する能の即興性、音の魅力を現代的な視座から表現していきたい。
〈出演者〉
謡:藤井秋雅
グラスハープ/水:清田裕里江
ヴァイオリン:向山有輝
【15分程度のコンサート】
一部映像を用いての実験的な試みも。
ゲストとして、デート・コース・ペンタゴン・ロイヤル・ガーデンのドラマー兼同級生である田中教順氏を迎え、デュオで演奏いたします。
元気いっぱいがんばります!
終わり良ければ全てよし!
【映像と生演奏+2chスピーカーによるコンサート】
ハンス・リヒターのサイレント映画「午前の幽霊」(原題:Vormittagsspuk)1927によるコンサート。
伴奏音楽という形式を踏襲しつつも、トーキー以降可能になった具体音や音声を含めた音響的なアプローチを取り入れ、
現在ならではのサウンドトラックの制作を試みる。
【常設音響作品】
■出演■
【ダンス作品上演】
I would like to show my experience of Hip Hop Dance in Japan through short video clips and dance performance.